
上村松園展(国立近代美術館・竹橋)が開催中です。
念願の上村松園展に出かけてまいりました!
*—*—*—*
今日は京都出身の女流日本画家・上村松園(うえむらしょうえん)をご紹介します。
竹内栖鳳、鈴木松年を師とし、数多くの美人画を描いていましたが、それらは単なる女性美を表そうとしたのではなく画中の人物の心情に寄り添うかのようにあたたかな眼差しで対象を描くこともあれば、人物の心の奥底に渦巻く情念を静かに描き出すこともあったとのことです。
浮世絵をはじめとする古画や伝統芸能、古典文学などの幅広い知識を土台とし、市井の人々の営み、源氏物語や、謡曲などを題材としたたさまざまな作品を描いています。
大作が多く作品点数の多さにも驚きました。
*—*—*—*
上村松園の作品との出会いは25年前。
当時勤めていた?メキシコ観光の上司・石井あけみさんは、芸術や音楽に造詣が深く、会社の仕事も忙しい中でしたが、クラッシックコンサートや展覧会、日展にもご一緒させていただいていました。
特にメキシコの風景を描いていた遠藤桑珠さんと、そして上村松篁(うえむらしょうこう)の作品を贔屓にされていて、絵葉書などを下さいました。
その影響でわたしも日本画を観るようになり母子三代にわたる彼らの画業を知るようになりました。
上村松園・上村松篁・上村淳之(うえむらあつし)三代の作品集(光彩美術)と上村松篁の画集(学研)をいただいたときには花鳥画の柔らかさと配色の美しさにただただ溜息をついて画集に見入っていた記憶があります。
日本は四季折々の風情があり、やはり自分も日本人なのか、日本画における美人画や風景の花鳥風月には魅力を感じずにはいられませんでした。
みなさんはいかがでしょうか。
そして京都・中京の出身であることも魅かれる理由だったと思います。父・島田正治も中京区小川の出身でわたしも小さい頃から泊まりに行っていましたのでその界隈はよく歩きましたし、とても馴染みのある思い出深い場所なのです。
*—*—*—*
「母子」1934年(昭和9年)の作品。
母親でしたらどなたでも経験のある温かいまなざしでわが子をみている姿の作品です。
作品解説によりますと、この母子は京都・中京あたりの人物らしいとのこと。年代的にも伯父や父が2?5歳の幼少の頃ですから、写真で見たことのある日本髪の髷を結っている亡き祖母の姿とだぶるものがあり、とても懐かしく、しばし作品の前で眺め入りました。
「娘深雪」1914年(大正3年)
いずれの作品においても日本的なお顔立ちの作品ですがこの作品においては姪っ子の顔立ちにあまりにそっくりなので思わず魅かれてしまいました。
「花がたみ」1915年(大正4年)
謡曲「花がたみ」の登場人物で照日の前(てるひのまえ)という人物がおり愛する継体天皇を想って狂い舞う姿を描いている作品。
この作品は、わたしの娘にそっくりなので観ていたのですが、解説を読んで「てるひ」という自分と同名の人物ということにも、更に驚きました!
(角度を変えた観方ではありますが、どうかぜひご覧ください。)
*—*—*—*
当時の日本で、そして京都で画家として生きる道を選んだ彼女はとても勇気が必要だったことと思います。
わたしは、母・島田和子と、そして青井洋子さんという方の影響を受け10年前よりスケッチや水彩画を描くことを再開しました。
最初は子育ての合間、暇に任せてスケッチ程度でしたが、最近ではたくさんの作品を残したいと貪欲な気持ちで臨み作品を仕上げるようになってきました。
現在はまだ30点ほど。まだまだ道のりは厳しいですが自分のスタイルで画を描くことはとても楽しく、筆を持てることの喜びと、そして楽しく描けることに心から感謝している今日この頃です。
*—*—*—*—*
当然のことながら、やはり作品というものは、画集で観ているよりも本物・実物を観ることが大切と考えます。印象も大きく変わってきます。
我が家はみな国立科学博物館(上野)のファンなのでよく展示を観に通っていますが、メキシコの壁画もしかり、子供たちにもできるだけ本物に触れる機会を多く持ってほしいと思いました。
近い将来にはスミソニア博物館(ワシントン)へも訪れたいと思っています。sol(10月7日)